2006年2月活動記録
2005年 12月 27日
<2月27日(月)> 炭点前(すみてまえ)解説
炭点前解説と表題をつけましたが、私には、それだけの力がありません。しかし、このようなことがあるということを是非お伝えしたく、昨年、表千家の先生をされている知人の奥様にお願いし、カメラにおさめて来たものを掲載します。
1月のテレビ番組で「茶の世界」という題だったかと思いますが、約4時間に及ぶ正式な茶事の様子を放映していました。それは『炭点前』から始まり、会席料理なども通し、すべてその席中の連客が一椀の茶を飲み回す濃茶の席でした。お茶の世界での炭の扱われ方が良くわかりました。
炭点前の締めくくりの「点炭」(止炭とも言います)を炉に入れ終わったところです。
種火の傍にお香も置いてあります。
左は炭斗(すみとり)です。炭はもちろん、羽箒(はぼうき)、火箸、茶釜の環、白い枝炭、香合も揃っています。
亭主の右側に炭斗、香合、茶釜の環(かん)、後方に濡れ灰が入った灰器(はいき)が見えます。
右上は灰器に入れられた濡れ灰です。分りにくいですが、茶色の湿った灰です。造るのに大変な手間暇がかかっており、火事の時にはまず、これを持って逃げると言われます。炭点前の時、少し湿った灰を撒くと水蒸気の力で空気に流れがおき、よく火が熾るとのことです。
左は、枝炭です。ツツジ等の枝を焼き、胡粉や石灰が塗ってあります。景色として、また導火炭の役割があるとのことです。
ここから、炭点前です。炉の釜に環を付け、一時横におきます。
火種もさすが菊炭です。 濡れ灰が撒かれました。
先ず『胴炭(どうずみ)』(長さ15cm、直径6cm)が入れられました
次に『丸毬打(まるぎっちょ)』(長さ7.5cm、直径4.6cm)がおかれました。
そして、『割毬打(わりぎっちょ)』(丸毬打をタテ半分に割った物)、さらに『丸毬打』とおきます。
『丸管炭(まるくだずみ)』(長さ15cm、直径3cm)『割管炭(わりくだずみ)』(丸管炭を半分に割った物)をおきました。
枝炭をのせ、最後に『点炭(てんずみ)』(長さ7.5cm、直径3cm)をおきます。炭点前の最後なので『止炭(とめずみ)』とも言います。
炭点前だけで約30分かかりました。炭の置き方にルールはなく、その人の感覚で好きにおいて良いそうです。
左は『風炉(ふろ)』です。
11月から4月までは室内に切った『炉』で暖房も兼ねるということで大きい炭を使い、
5月から10月迄は『風炉』で、炭も少し小さいサイズ(炉用の80%位)の物を使います。
写真と記憶だけでまとめたので正確性に疑問がありますが、炭点前がどのようなものか雰囲気は分って頂いたと思います。
テレビで放映されたものでは、客は炉に近づき、覗き込むように観賞していました。
<2006年2月17日(金)>炭出し記念特集号
菊炭友の会・初窯は最高の炭が出来ました!
期待と、不安の織り交ざった気持ちで、今日を待ちました。焼き上がった炭は重量感のある最高の出来上がりでした。 名月窯の窯主が「この窯では炭の収量、約240kg」と言われるところを、263kg!重量があり、しかもしっかり焼けている高品質の炭です。 窯主からも「上等!」と褒めて頂きました。
窯を開けました!水蒸気が吹き出てきます レンガをはずします。 開いた口から、そ~と覗き込みました
まず、口近くの砕けた炭が出ます。右は菊炭よりも高価な白灰。1窯で、この程度しかとれません。
煙突も開きます。 柴(上げ木)の炭です。
真打が出始めました。窯の中は、サウナのようです。
1本々々そっと立てかけて、冷まします。この工程も欠かせません。
時によっては、この段階から火が出ることもあるようです。
砕けた炭、上げ木の炭は米袋に 入れ、普通の燃料用にします。
お茶炭用は束ねて出荷します。 私達は10kgの束にしました。
引き続き、窯主の木を入れ、火を入れました。
例によって、窯の前で昼食をとったあと、今日は特別。能勢の『簡保の宿』に行き、温泉に入り、「お昼の営業は15時までです」と声がかかるまで、(ビールが欲しいのを我慢して)お茶だけで、(しかし、何だか豊かな気持ちで)過ごしました。
<2月12日(日)>友の会の窯・クドサシ(密封)名月窯
16~17時
今回は、やはり燃えるのが早く、48時間後の12日10時には既に紫煙になっています。空気孔も煙突もこれ以上絞れないところまで絞っています。
煙が15時に止まりました。クドサシ(密封)のタイミングがさらに早まり16時35分に完全に密封しました。
窯の口を閉じます。 分りにくいですが、煙突も閉じました。
後は、17日の炭出しの日を楽しみに待つだけです。皆さん、お疲れ様でした!
<2月10日(金)>友の会の窯に火入れ(名月窯)
8:30~20時
準備した柴(上げ木) 炭の原木
10時点火。口焚き6時間後、16時の窯口と煙突からの煙。未だ水けむりです。
7時間30分経過後の窯口と煙。 口からも黄色味を帯びた喉を刺すような煙が出始め、煙突からは、もくもくと力強く煙らしい煙が出ています。そろそろ、口にレンガを積む時が近づいています。
8時間経過、18時に空気孔を残し、レンガで口を閉ざしました。焚き続けると口から火を噴出します。右は黒川窯で火を噴いたときの写真です。
なお、レンガを積む途中、窯の中に薪に変えて、大きな炭を入れました。
レンガに隙間が残っているのを気にしながら20時に退去しました。
<2月9日(木)>今日は冷た~い日でした。
9~14時
昼食は何時も11時半頃にとります。ホットする時です。本来なら1時間位、ダベリながら休憩したいところです。体が冷え、寒くなるので30分位で仕事を始めます。
最近、寒いとはいえ、今日のように食事中に手がかじかむのは珍しいことです。
雪がちらつく中での昼食風景です。何時もはこんなに背中を丸くしていませんよ。
今日は特別。
この時期、熱いお湯をポットで持って来、即席味噌汁、ラーメン、うどん等、身体を温める物が必需です。
普通は木の切り株をテーブル代わりにしたりしますが、こんな洒落た物を持参する仲間も居ます。
次に装備です。大切な裾じまいです。手は軍手に重ねて皮手袋を着けています。 大きなエプロンは汚れ防止。 腰には鉈、鋸、剪定鋏を着けています。
頭を撮るのを忘れましたね。原則、ヘルメット着用です。今日はこれでお終い。
明日から、自分達の炭焼が始まります。
<2月8日(水)名月窯支援活動>柴造り・搬出
9~14時
山仕事の話をする時、どうしても原木の調達に関することが中心になりますが、
今日は「柴」の話をします。
炭になる原木は窯の中で1本々々立てて入れます。その原木の上に、横にして入れる木のことを「柴」又は「上木(あげき)」と呼び、窯内の温度を上げるのに重要な役割を果たします。
炭の原木を取った後、適当な長さに切った枝を束ねます。鉈が活躍します。
クヌギは1升瓶より太い部分は、椎茸のホダ木に、それより細い木はお茶炭に、そして枝などは「上木(あげき)」にと、全てを使い尽くし、無駄にする部分はありません。
鉈使いも上手いものです。
搬出の障壁 (大きな段差)は滑り台を造りクリア。
5日には、原木も、ここを滑らせました。
天気予報に反して昼頃からちらついていた雪が14時には激しく降り出し逃げ帰りました
<2月4日(土)>里山シンポジウム 川西能勢口アステホール
13~17時
NPO法人ひょうご森の倶楽部主催のシンポジウムが開かれました。我が友の会も後援していました。300名定員の会場で立つ人が出るほどの盛況でした。
4時間の中で、我が意を得たりと思うことが一つありました。
最近の官製談合、退官後の天下り先を確保する為に談合の手引きをしている。
何と、哀しい人達なんだろうと、私は思っていました。
天下りが出来るだけの地位まで来ている人達なんだから、経済的には普通以上の老後があるはずでしょう。それ以上を求めて、法まで犯す。この人達は人生の本当の値打ちが分っていない、実に気の毒な人達だと思っていました。
という私も、最近になってこのような考えを持つに至ったのですが・・・。
自然の懐の中で、人間のちっぽけさのようなものを感じていると、今そのような経験が出来る境遇にいることを幸せに思い、感謝もします。これまで充分に仕事をしてきたんでしょう。天下りまでして仕事を続けずに、元気な内に早く、全ての時間を私的なことに使える方向へ進んだらどうでしょう。
里山再生のキーワードは「物質エネルギー志向の西欧的なもの」ではなく、旧来から日本人が持っている『心』だと言われた、「人と自然の博物館」岩槻館長の言葉は核心をついているように感じます。とても、難しいことではあるけれども。
里山放置林に身を投じて考えることは、「経済的に里山を救おうとしても無理だな、しかし今、自分が感じているこのゆとりは何なのか?」
里山再生は「心」だと言うことを私は今、肌で感じています。
<2月3日(金)>名月窯支援活動 菊炭友の会の炭焼き原木準備
9~15時
黒川窯支援は曜日で担当を決め、1日、1名が活動します。1方、名月窯は活動参加者が3名無い場合は活動しないことにしています。
そういうわけで、名月窯活動は、少なくとも仲間が5名はいて、ある意味では気楽に楽しんでいる雰囲気があります。
今日は違いました。私達の炭を焼くため、10日に窯入れをする木を、31、1日の両日で準備する予定が雨で流れ、何時もより緊張感がありました。Kさんをリーダーに、参加者7名で仕事の分担を決め、効率を重視した活動をしました。
結果はオーライ。
10日に必要な量を超える原木の調整が出来、5日に窯まで運び込めば良い段階まで進みました。
<2月2日(木)>黒川窯支援活動 原木枝払い、山からの搬出
8~17時
黒川窯の今シーズンの原木の調達は、そろそろ次の山へ移動する時期がやって来ました。既に、次の山は勿論、その次も手配済みです。
これまでの山は、地元では『大谷山』と呼ばれ、妙見山登山の大同越えルートのすぐ西の山です。
昼休憩の時、窯主は、「この山は昔は最高のクヌギ山だった・・・」と呟いておられました。「怖いものが何もなかった」若い頃、奥さんと二人で頑張った思い出があるようです。「家内がよ~やってくれた」とも。私は、窯主のその言葉を、奥さんに伝えようと心に決めました。
最近では、どことも山主は持ち山の手入れをせず(出来ず)、放置する状況が多いようです。日本の林業は、そこまで厳しくなっています。
クヌギは日光には神経質な木です。「下刈り」や「ツル切り」がされない所では、良いクヌギが育ちません。
この山で撮った写真を紹介し、少し振り返って見ます。
笹が生い茂り、ツルが太陽光を遮断せんばかりの状況です。
ユンボで道をつけて行きます。ユンボの威力たるや凄いですね。これがなければ、こんなに規模の大きな林には取り組めないでしょう。
しかし、昔は人力でやり通したわけですよね。
そして、2台のキャタピラ付きの運搬車が、山の中腹においてある四輪駆動の軽トラックとの間を往復します。
斜面の左下が伐採後、右上は伐採前です。こうして一度綺麗にし、3年位、夏に下刈をし、ツルは気付けば切るようにすれば、良いクヌギ山が復活するというのですが・・。
炭点前解説と表題をつけましたが、私には、それだけの力がありません。しかし、このようなことがあるということを是非お伝えしたく、昨年、表千家の先生をされている知人の奥様にお願いし、カメラにおさめて来たものを掲載します。
1月のテレビ番組で「茶の世界」という題だったかと思いますが、約4時間に及ぶ正式な茶事の様子を放映していました。それは『炭点前』から始まり、会席料理なども通し、すべてその席中の連客が一椀の茶を飲み回す濃茶の席でした。お茶の世界での炭の扱われ方が良くわかりました。
種火の傍にお香も置いてあります。
左は炭斗(すみとり)です。炭はもちろん、羽箒(はぼうき)、火箸、茶釜の環、白い枝炭、香合も揃っています。
亭主の右側に炭斗、香合、茶釜の環(かん)、後方に濡れ灰が入った灰器(はいき)が見えます。
右上は灰器に入れられた濡れ灰です。分りにくいですが、茶色の湿った灰です。造るのに大変な手間暇がかかっており、火事の時にはまず、これを持って逃げると言われます。炭点前の時、少し湿った灰を撒くと水蒸気の力で空気に流れがおき、よく火が熾るとのことです。
左は、枝炭です。ツツジ等の枝を焼き、胡粉や石灰が塗ってあります。景色として、また導火炭の役割があるとのことです。
ここから、炭点前です。炉の釜に環を付け、一時横におきます。
火種もさすが菊炭です。 濡れ灰が撒かれました。
先ず『胴炭(どうずみ)』(長さ15cm、直径6cm)が入れられました
次に『丸毬打(まるぎっちょ)』(長さ7.5cm、直径4.6cm)がおかれました。
そして、『割毬打(わりぎっちょ)』(丸毬打をタテ半分に割った物)、さらに『丸毬打』とおきます。
『丸管炭(まるくだずみ)』(長さ15cm、直径3cm)『割管炭(わりくだずみ)』(丸管炭を半分に割った物)をおきました。
枝炭をのせ、最後に『点炭(てんずみ)』(長さ7.5cm、直径3cm)をおきます。炭点前の最後なので『止炭(とめずみ)』とも言います。
炭点前だけで約30分かかりました。炭の置き方にルールはなく、その人の感覚で好きにおいて良いそうです。
左は『風炉(ふろ)』です。
11月から4月までは室内に切った『炉』で暖房も兼ねるということで大きい炭を使い、
5月から10月迄は『風炉』で、炭も少し小さいサイズ(炉用の80%位)の物を使います。
写真と記憶だけでまとめたので正確性に疑問がありますが、炭点前がどのようなものか雰囲気は分って頂いたと思います。
テレビで放映されたものでは、客は炉に近づき、覗き込むように観賞していました。
<2006年2月17日(金)>炭出し記念特集号
菊炭友の会・初窯は最高の炭が出来ました!
期待と、不安の織り交ざった気持ちで、今日を待ちました。焼き上がった炭は重量感のある最高の出来上がりでした。
窯を開けました!水蒸気が吹き出てきます
まず、口近くの砕けた炭が出ます。右は菊炭よりも高価な白灰。1窯で、この程度しかとれません。
煙突も開きます。 柴(上げ木)の炭です。
真打が出始めました。窯の中は、サウナのようです。
1本々々そっと立てかけて、冷まします。この工程も欠かせません。
時によっては、この段階から火が出ることもあるようです。
砕けた炭、上げ木の炭は米袋に 入れ、普通の燃料用にします。
お茶炭用は束ねて出荷します。 私達は10kgの束にしました。
引き続き、窯主の木を入れ、火を入れました。
例によって、窯の前で昼食をとったあと、今日は特別。能勢の『簡保の宿』に行き、温泉に入り、「お昼の営業は15時までです」と声がかかるまで、(ビールが欲しいのを我慢して)お茶だけで、(しかし、何だか豊かな気持ちで)過ごしました。
<2月12日(日)>友の会の窯・クドサシ(密封)名月窯
16~17時
今回は、やはり燃えるのが早く、48時間後の12日10時には既に紫煙になっています。空気孔も煙突もこれ以上絞れないところまで絞っています。
煙が15時に止まりました。クドサシ(密封)のタイミングがさらに早まり16時35分に完全に密封しました。
窯の口を閉じます。 分りにくいですが、煙突も閉じました。
後は、17日の炭出しの日を楽しみに待つだけです。皆さん、お疲れ様でした!
<2月10日(金)>友の会の窯に火入れ(名月窯)
8:30~20時
準備した柴(上げ木) 炭の原木
10時点火。口焚き6時間後、16時の窯口と煙突からの煙。未だ水けむりです。
7時間30分経過後の窯口と煙。 口からも黄色味を帯びた喉を刺すような煙が出始め、煙突からは、もくもくと力強く煙らしい煙が出ています。そろそろ、口にレンガを積む時が近づいています。
8時間経過、18時に空気孔を残し、レンガで口を閉ざしました。焚き続けると口から火を噴出します。右は黒川窯で火を噴いたときの写真です。
なお、レンガを積む途中、窯の中に薪に変えて、大きな炭を入れました。
レンガに隙間が残っているのを気にしながら20時に退去しました。
<2月9日(木)>今日は冷た~い日でした。
9~14時
昼食は何時も11時半頃にとります。ホットする時です。本来なら1時間位、ダベリながら休憩したいところです。体が冷え、寒くなるので30分位で仕事を始めます。
最近、寒いとはいえ、今日のように食事中に手がかじかむのは珍しいことです。
雪がちらつく中での昼食風景です。何時もはこんなに背中を丸くしていませんよ。
今日は特別。
この時期、熱いお湯をポットで持って来、即席味噌汁、ラーメン、うどん等、身体を温める物が必需です。
普通は木の切り株をテーブル代わりにしたりしますが、こんな洒落た物を持参する仲間も居ます。
次に装備です。大切な裾じまいです。手は軍手に重ねて皮手袋を着けています。
頭を撮るのを忘れましたね。原則、ヘルメット着用です。今日はこれでお終い。
明日から、自分達の炭焼が始まります。
<2月8日(水)名月窯支援活動>柴造り・搬出
9~14時
山仕事の話をする時、どうしても原木の調達に関することが中心になりますが、
今日は「柴」の話をします。
炭になる原木は窯の中で1本々々立てて入れます。その原木の上に、横にして入れる木のことを「柴」又は「上木(あげき)」と呼び、窯内の温度を上げるのに重要な役割を果たします。
炭の原木を取った後、適当な長さに切った枝を束ねます。鉈が活躍します。
クヌギは1升瓶より太い部分は、椎茸のホダ木に、それより細い木はお茶炭に、そして枝などは「上木(あげき)」にと、全てを使い尽くし、無駄にする部分はありません。
鉈使いも上手いものです。
搬出の障壁 (大きな段差)は滑り台を造りクリア。
5日には、原木も、ここを滑らせました。
天気予報に反して昼頃からちらついていた雪が14時には激しく降り出し逃げ帰りました
<2月4日(土)>里山シンポジウム 川西能勢口アステホール
13~17時
NPO法人ひょうご森の倶楽部主催のシンポジウムが開かれました。我が友の会も後援していました。300名定員の会場で立つ人が出るほどの盛況でした。
4時間の中で、我が意を得たりと思うことが一つありました。
最近の官製談合、退官後の天下り先を確保する為に談合の手引きをしている。
何と、哀しい人達なんだろうと、私は思っていました。
天下りが出来るだけの地位まで来ている人達なんだから、経済的には普通以上の老後があるはずでしょう。それ以上を求めて、法まで犯す。この人達は人生の本当の値打ちが分っていない、実に気の毒な人達だと思っていました。
という私も、最近になってこのような考えを持つに至ったのですが・・・。
自然の懐の中で、人間のちっぽけさのようなものを感じていると、今そのような経験が出来る境遇にいることを幸せに思い、感謝もします。これまで充分に仕事をしてきたんでしょう。天下りまでして仕事を続けずに、元気な内に早く、全ての時間を私的なことに使える方向へ進んだらどうでしょう。
里山再生のキーワードは「物質エネルギー志向の西欧的なもの」ではなく、旧来から日本人が持っている『心』だと言われた、「人と自然の博物館」岩槻館長の言葉は核心をついているように感じます。とても、難しいことではあるけれども。
里山放置林に身を投じて考えることは、「経済的に里山を救おうとしても無理だな、しかし今、自分が感じているこのゆとりは何なのか?」
里山再生は「心」だと言うことを私は今、肌で感じています。
<2月3日(金)>名月窯支援活動 菊炭友の会の炭焼き原木準備
9~15時
黒川窯支援は曜日で担当を決め、1日、1名が活動します。1方、名月窯は活動参加者が3名無い場合は活動しないことにしています。
そういうわけで、名月窯活動は、少なくとも仲間が5名はいて、ある意味では気楽に楽しんでいる雰囲気があります。
今日は違いました。私達の炭を焼くため、10日に窯入れをする木を、31、1日の両日で準備する予定が雨で流れ、何時もより緊張感がありました。Kさんをリーダーに、参加者7名で仕事の分担を決め、効率を重視した活動をしました。
結果はオーライ。
10日に必要な量を超える原木の調整が出来、5日に窯まで運び込めば良い段階まで進みました。
<2月2日(木)>黒川窯支援活動 原木枝払い、山からの搬出
8~17時
黒川窯の今シーズンの原木の調達は、そろそろ次の山へ移動する時期がやって来ました。既に、次の山は勿論、その次も手配済みです。
これまでの山は、地元では『大谷山』と呼ばれ、妙見山登山の大同越えルートのすぐ西の山です。
昼休憩の時、窯主は、「この山は昔は最高のクヌギ山だった・・・」と呟いておられました。「怖いものが何もなかった」若い頃、奥さんと二人で頑張った思い出があるようです。「家内がよ~やってくれた」とも。私は、窯主のその言葉を、奥さんに伝えようと心に決めました。
最近では、どことも山主は持ち山の手入れをせず(出来ず)、放置する状況が多いようです。日本の林業は、そこまで厳しくなっています。
クヌギは日光には神経質な木です。「下刈り」や「ツル切り」がされない所では、良いクヌギが育ちません。
この山で撮った写真を紹介し、少し振り返って見ます。
笹が生い茂り、ツルが太陽光を遮断せんばかりの状況です。
ユンボで道をつけて行きます。ユンボの威力たるや凄いですね。これがなければ、こんなに規模の大きな林には取り組めないでしょう。
しかし、昔は人力でやり通したわけですよね。
そして、2台のキャタピラ付きの運搬車が、山の中腹においてある四輪駆動の軽トラックとの間を往復します。
斜面の左下が伐採後、右上は伐採前です。こうして一度綺麗にし、3年位、夏に下刈をし、ツルは気付けば切るようにすれば、良いクヌギ山が復活するというのですが・・。
by cn1397 | 2005-12-27 17:12 | 2006年2月活動記録 | Comments(0)